気まぐれ日記 07年8月

07年7月はここ

8月1日(水)「日が短くなってきた・・・の風さん」
 私がいつも超多忙なので「御身大切に」「御自愛下さい」といった決まり文句が必ず手紙の末尾につけられる。確かに危ない気もするが、なかなか自分自身にかまっている余裕はない。とはいえ、せっせと医者通いはしているので、全く無防備ということではない。ご安心を。
 ということで、今朝も会社の診療所で血圧検査を受けた。114−76だって! 薬を飲んでいるとはいえ、ずーっと正常値が続いている。ご安心を。
 昼休み中に、日本経営工学会秋季大会の発表申込書のドラフトを作成した。小説の執筆は非常に時間がかかるが、こういった事務的なことは「お茶の子さいさい」である。早速大野先生へメール送付し、ご指導依頼した。
 これから本格的な夏の到来だが、既に夏至を過ぎてだいぶ経つ。日が短くなっていくのは寂しい。まだ明るいうちに退社した。今夜、オーストラリアから次女が帰国するのだ。
 ワイフがセントレアまで迎えに行ってきた。次女は元気に帰ってきた。冬のオーストラリアから帰国したので、暑い暑いを連発している。心配していた食べ物の苦労もなく、楽しかったという。それは良かったのだが、心配する甲斐がなくなると親は寂しいものだ。いよいよ人生の日も短くなってきたか。
 長編の加筆修正にますます熱がこもった。

8月2日(木)「楽しい設計の仕事・・・の風さん」
 朝刊に、朝青龍の二場所連続出場停止と減俸処分が掲載されていた。不祥事に対する政府自民党と大相撲協会の姿勢の厳しさの違いが際立った。こういうことが伝統を守る姿勢というものだろう。理由はともあれ、悪いことは悪いのだ。
 出社してあれこれと雑用を片付けてしまったら、急に元気がなくなってきた。これ以上雑用をやる気が失せたのだ。そこで席を立ち、現場へ向かった。現場は問題点の宝庫である。イヤでもやらねばならないことにぶつかる。案の定、そうなった。久しぶりに自分で治具の構想を考えて設計するチャンスがめぐってきたのだ。なーんだ、それはイヤでもやらねばならないことではない。好きな仕事だった。あはは。うちには力強い設備設計のプロ(協力者)がいるので、私が全力で考えたものでも「これでどうでしょう?」と言うと、ちゃんとしたものを設計・製作してくれる。それは分かっているのだが、好きなことはやりたい。社内ネットにつないで設備設計基準も参照して、ちゃちゃっと構想図を描いて持っていった。
 ……こうして楽しい1日が終わった。
 台風5号が近付いているので風が強い。しかし、背の低いミッシェルは安心だ。今夜は気持ち良くぶっ飛ばして帰宅した。
 夕食後、執筆のために書斎に籠ったが、昼間の仕事で疲労がどっと出てきたので、今夜は、いつもよりさらに1時間早く寝ることにした。

8月3日(金)「忙中もやっぱり忙(ぼう)しかない・・・の風さん」
 台風6号が接近している。何とかその直撃は避けられそうだが、私の締め切りは回避できない。来週の7日(火)にデータで届けなければならない。それが私の当面の最重要課題だ。
 今日、ワイフはクルマで実家へ出かけた。先日の事故でできなかったことのやり直しである。やり直しはいいが、再現はいけないので、途中でクルマの御祓いをしてもらうことになっている。
 私は、午後から本社へ会議のために出張した。駐車場から本社ビルへ向かうとき、少し雨がぱらついたので傘をさした。帰る頃に、その傘を持っていないことに気付いた。「やばい!」と思ったが、ビデオ映像の巻戻しのように、自分の軌跡を逆にたどっていったら、本社ビルに入ってすぐ利用したトイレの洗面所に置いてあった。「待っていてくれたんだね?」とうれしかった。最近のボケ老人には、運がついている。
 今日クルマの御祓いをしてもらってきたワイフが、「車検証がない」と訴えてきた。神社で要求されたが、ダッシュボードの小物入れの中になかったという。先日の事故で修理に出している間に、紛失したのではないか、と言うのだ。
 すぐに修理工場へ電話したが、見つからないという。
「明日、明るいところでもう一度探してみてくれませんか?」
 社長が自宅からわざわざ電話をくれた。

8月4日(土)「1日遅れ・・・の風さん」
 相変わらず迷惑メールがたくさん届く。1日に百通前後である。どんどんブロックされる仕組みになっているが、最後にメーラーまで届くそれらの中に、最近は、1日1通程度、ロシア語の迷惑メールが含まれている。英語と違って、さっぱり判読できない。
 紛失したと思われた車検証は、クルマのダッシュボード以外のポケットから発見された。忙しいときほど色々なことが起こる。修理工場へ電話でその旨報告する。それにしても、自分だけが忙しいような気もするな(笑)。
 台風6号は日本海へ抜けたので、空は晴れている。書斎の窓から裏の駐車場を見下ろすと、1本だけ刈り残したひまわりに花が3つ咲いている。今年の夏の思い出になるかも。
 長編の原稿の加筆修正を続けているが、昨夜までに到達したいところへ実は届かなかった。それで、今日は朝から大特急で挽回しようと頑張った。夢中になってやった。余計なことは一切せずに、執筆専念の1日である。
 ……、結局、午前零時寸前に、昨日までに到達したかったところへ、やっと届いた。ということは計画から完全に1日遅れ、となった。

8月5日(日)「ゴキ・ハンターの今夜の獲物は・・・の風さん」
 昨夜は、執筆を終えてからワインを飲んだのがいけなかったのか、妙に興奮してすぐ寝られなかった。それでも寝坊をするわけにはいかなかった。普通に起床して、今日の執筆を開始した。
 1日遅れという実態を認識すると、まともに取り組むわけにはいかないので、今日は、原稿の最後から加筆修正を始めた。後ろから追い込んで、前から修正した部分との間が残ったら、最後はそこを削除しちゃえ、という乱暴な作戦でもあった。
 しかし、さすがに疲労がたまっている。無茶はできなかった。なぜなら、明日は会社の仕事があるが、執筆のためにわずかでも時間がとれるからだ。
 今回の作品には図が入る。それらも作成しながら原稿のリファインを続けている。残っている分量を想像すると、気分が滅入りそうになるが、自分の心と身体に鞭打って頑張るしかない。
 夕食後の夜の休憩で階下へ降りたら、ワイフから
「ペコがまたゴキをつかまえたよ」
 と教えられた。見たら、ペコがご褒美に煮干しをもらっていた。さすが我が家のゴキブリ・ハンターである。
 大学1年の長男がやっとバイトを見つけ、今日から働き始めた。焼肉屋で、何をしているのか知らないが、夕方から出かけ、それほど遅くない時間に帰ってきた。親に似ず頑張らない性格なので、ま、こんなもんか(笑)。
 就寝前に再び階下へ降りたら、ワイフから
「ペコがまたまたゴキをつかまえたよ」
 と言われてビックリした。
「洗濯機の辺りで何かしていると思ってよく見たら、生きたゴキブリをくわえて遊んでいた」
「そのゴキは今どこへ?」
「サンルームよ、ほら」
 ガラス越しに眺めると、黒い大きなヤツがひっくり返っていた。ペコは今年何匹もゴキをつかまえているが、すべて私の知らないときで、今目の前でお陀仏になっているヤツは、私が見る今年最初のゴキだった。

8月6日(月)「空港で走る風さんの巻」
 いつも通りに早起きし、出勤前に執筆の続きをやったが、わずかしかできなかった。
(今夜は徹夜かな)
 ふと、そう思った。
 高2の次女は早々と家を出た。ラグビー部の菅平合宿である。マネージャーも行かねばならない。
 今日は、私は九州大学へ出張した。セントレアから福岡空港往復である。自宅からはミッシェルで有料道路を突っ走った。慣れた道路なので、余裕しゃくしゃくで到着。一緒に行く同僚の姿はまだなかった。
 行きの機内で辻真先先生の『あじあ号、吼えろ!』の続きを読んだ。あと少しだ。
 福岡は初めてである。天気はまずまずだったが、名古屋の暑さと比較すると、それほどきつくない。地下鉄とバスを乗り継いで、九州大学伊都キャンパスへ着いた。
 技術的な仕事なので、とても楽しかった。
 帰りは、行きの全くの逆コースだったが、余裕があると思っていたのは間違いで、福岡空港に着いたときは、出発まで10分しかなかった。ANAの職員が付き添ってくれた。チケットを手に入れ、手荷物検査を通って出発カウンターを抜ける頃に、アナウンスで我々の名前が呼ばれた。我々は走った。
 搭乗したのは、名高い(?)ボンバルディナ DHC8−Q400だった。やがて運行がなくなってしまうセントレア〜福島便で何度も乗っている飛行機で、今度の夏期連休中に松山へ行くときに乗る予定の飛行機だ。つまり、日本の空をけっこう飛んでいる機体である。
 機内で『あじあ号、吼えろ!』を読み終わった。膨大な資料を使った大長編にもかかわらず、辻先生はわずか2年で書き上げたという。恐るべき速筆。
 ミッシェルで帰宅し、夕食後から、執筆に復帰した。
 いよいよ徹夜作業がスタートだ。

8月7日(火)「日付変更線のない日・・・の風さん」
 受験生ではないが、遅くまで執筆をすることを知ったワイフが、夕べは夜食を持ってきてくれた。
 先週からなるべくコンスタントに体力を使うようにしていたので、バテルことなく執筆が続いた。
 終盤戦なので、少しいじると全体に影響が出る段階だ。慎重にいじっていく。文章力がないので、考えるのに時間がかかる。
 午前5時ごろにトイレへ行ったが、既に外は明るくなっていた。
 最終段階で初めての場面を描く必要が生じた。これが一番厳しかったが、じっくりやっている余裕はない。とりあえずの場面を作った。原稿は前回よりも60枚くらい増えてしまった。
 原稿と図のデータを生とPDF変換したものし、これら4つをリスク分散で、4つのメールに添付して送信した。
 午前7時ごろである。
「終わったー!」
 と叫びたかったが、だめだめ、あと少しやっておくことがある。
 10月の日本経営工学会の発表申込書の修正版を作って、大野先生へメールした。
 続いて、別のパソコンで会社のサーバーにアクセスして、会社の仕事。今日は本社で重要な仕事があるのだ。
 これらが終わった時点で、もうベッドで寝る時間は残っていなかった。
 朝食を摂った後、家を出るまでのわずか20分間、食卓に突っ伏して寝た。
 ミッシェルで本社まで出張し、VIPを迎えて昼過ぎまで仕事。その後、製作所へ移動し、またいくつかの会議。
 出版社からケータイに電話があり、図を貼り付けたファイルが開かないという。遠隔操作で色々な細工をして出版社へデータを送ったが、なかなか解決しなかった。
 そのうちに、メールが届いた。解決したという。どうもPC音痴ですみません、とのことだった。やれやれ。
 定時後に予定していた業者が来たので、現場に入った。実験確認が順調に終了し、8時に退社できた。
 帰宅したら、大野先生から修正した申込書にOKが出たので、学会事務局へ送信した。
 今夜は早く寝ようと浴室へ行った。久しぶりに浴槽に浸かると……。
 何か音がするので、目を開けたら、浴室のドアが外から叩かれていた。いつまでも出てこない私をワイフが心配して様子を見に来たのだ。
 私は浴槽の中でふやけて死にかかっていた(笑)。
 ワインを飲みながらワイフと馬鹿話をして、ベッドに横に……なるが早いか、眠りに落ちた。

8月8日(水)「つぶれそうなレストラン・・・の風さん」
 気分転換で電車で出社した。学生定期を持っているので、こういうときは便利だ。
 製作所最寄の駅からは会社バスが出ている。バスの出発時刻の2分前に最寄の駅に電車が着く予定だったが、2分遅れた! やばい! 急いで駅を出て、バスを目指して小走りに駆けた。すると、いつもならほぼ満員になっている車内が、ガラ〜ンと空いている。名古屋方面から来る電車が、人身事故で20分も到着が遅れているのだった。女性のバスの運転手がケータイで連絡を取り合って、出発時刻を調整していた。便利といえば便利な世の中になったものだ(老人のひとり言)。
 帰りも当然電車だが、途中駅で降りた。ワイフと帰省してきた長女の二人と待ち合わせて、今夜は外食なのである。住宅街の一画にある、初めてのレストランへ行った。夫婦だけで経営しているような小さなレストランである。いちおうフランス料理らしい。シェフ見習いの長女にとっては勉強になるだろう。
 値段はきわめてお手頃なのでコース料理を注文。ただし、ワインは飲めない。クルマで来ているから。さすがフランス料理で、見た目の美しい料理が次々に出てきた。味もまずまず。
 料金を(私が)支払って店を出たが、今夜の客は我々3人だけだった。これでは、そのうち廃業してしまうだろう。

8月9日(木)「施餓鬼も無事終わり・・・の風さん」
 昨夜自費出版のお手伝いをしている森さんへ書いた手紙を、今朝投函した。
 製作所へ出社したあと、午後本社へ行き、来客対応して、また製作所へ戻った。定時後も会議。ここまでで、会社の仕事がかなりピンチなのが判明した。私自身がもっと手を出そうと思った。
 今日は、午前中、施餓鬼だった。帰宅して、施餓鬼の様子を聞いた。外は猛暑でも、本堂内は風が吹き抜けて涼しかったそうだ。長女がワイフと一緒に行ってくれたのでよかった。本好きの住職に『武士道日暦』も渡った。お寺も次の代に徐々に世代交代していて、読経は途中で長男に交替したという。昼食には、いつものようにゴーヤの漬物とアンパンが付いたそうだ。

8月10日(金)「会社の仕事がピンチ・・・の風さん」
 出社途中でミッシェルに給油した。昨今、ガソリン価格の高騰が激しい。しかし、まだミネラルウォーターより安いという言い方もあるそうで、要はどう考えるか、だ。
 今日最初の会議で、仕事のピンチを一層感じた。
 本社へ移動して来客対応した。会議と昼食と製品展示室案内である。比較的平和な仕事といえる。その後、大きな会議があり、紛糾。同僚と頭を悩ませる。夕方まで議論したが、まだ何となくしっくりこない。夏期連休中ではあるが、13日(月)に休出して相談することにした。
 かなり疲れて帰宅すると、ネット注文した品物や、親友からの贈り物が届いていて心が和んだ。夕食に日本酒を少し飲んだが、わずかな量で酔いつぶれてしまった。
 夜中に起き出して、入浴。就寝前に読みかけの本を読みきった。今年34冊目である。ペースが落ちている。

8月11日(土)「休みに入ったとたんダウン・・・の風さん」
 執筆のピークを越えたら、会社の仕事がピンチで、未消化のままお盆休みに突入した。乱雑になった書斎の片付けから始めよう。
 ……と、朝から先ず、重要書類に入っている引き出しを一つ引っ張り出して、中身の整理に着手した。これだけで、午前中が終わってしまった。しかし、収穫もあった。な、なんと9千円分の商品券が出てきたのだ。お金に関するものは、それらしく見えない入れ物にまとめてあったので、違う場所から現金相当のものが出てきたのはうれしい。そもそも働くばかりで蓄財など気にしていないから、こういうことが起きる。あ、お金がたまっているという意味ではありません。借金はちっとも減っていませんから。念のため。
 続きをやろうと昼食後も書斎に籠ったが、どうにも体がだるくてひっくり返ったら、そのまま夕方になってしまった。
 夕食後、子供の小遣いのことで、ワイフとひと悶着があった。あとで、可哀そうな長男にちょっぴり小遣いを援助した。

8月12日(日)「敬老ツアー・・・の風さん」
 午後からワイフと夏休みのバカンスに出かけた(笑)。最寄の駅まで歩く途中に下り坂があり、伊勢湾が遠望できる。今日は三重県の方まではっきりと見通せた。真夏の炎天下だが、空気が乾燥している証拠である。海風が実に爽やかだ。
 金山から(本当は神宮前からでもよかったのだが)市営バスに乗って、ワイルドフラワーガーデン「ブルーボネット」へ行った。名古屋港の工場地帯の一画にあるイングリッシュガーデンである。若干老人趣味と言えなくないが、夫婦ともこういった世界が好きだから仕方ない。しかし、とにかく晴天で陽射しも強く、訪れている人は稀だった。
 庭園内を一周し、軽食を摂ってから、水上バスでガーデン埠頭へ向かった。小さな高速船で、黒っぽい海を渡った。乗客は20人に満たない。いわくありげな親子連れや、のんきなカップルなど。
 4時15分にイタリア村に着いた。ここは二度目かな。イタリア村では1万円しか使わない、と決めてあった(特に意味はない。ちょっとした趣向)。最初にゴンドラに乗った。ディズニーシーで乗ったゴンドラは、今どきの日本人の青年が漕いでくれたが、ここではイタリア人ぽい外人だった。狭くて短い水路を往復してくるだけだが、料金は600円だ。ちょっと進んだところで、岸からカメラマンが「写真どうですかぁ?」と売り込んできた。ゴンドラには3カップルが乗っていた。何が何だか分からないうちに商談成立してしまったらしい。先頭のカップルが撮られた。次がぼくら。ここは年寄りの図々しさで「要らない!」とはっきり拒絶。最後のカップルは撮られた。
 下船すると案の定もう枠に入った写真ができていて(デジカメとプリンターで即席なのだ)、ぼくら以外のカップルは1000円支払うハメに。ぼくは、ワイフから誉められると思いきや、「さすが慣れてるわ。今日は女房と一緒だから要らない、だもんね」。
 ま、とにかく、予算は8800円に減った。
 ウィンドウショッピングをして歩いたが、予算がないので、買う気にならない。それでも、ぼくは石膏の彫刻を一つ買った。350円。これで予算は8450円に。
 花火を見る前に夕食を食べてしまおうとレストランに入った。一番安いディナーコース(3500円)にグラスワイン(600円)をつけた。これが実に美味かった。満腹になり、少しほろ酔い機嫌にもなってレジで精算したら、250円余る予定が、570円も足が出た。サービス料を取られたのだ。けしからん!
 名古屋湾に浮かぶ船から打ち出される花火を堪能し、予算もなくなったので帰ることにした。地下鉄に乗って金山まで行き、そこから名鉄である。公共の交通機関ばかりを使った、今日は敬老ツアーだった。
 でも、けっこう疲れた。

8月13日(月)「合掌・・・の風さん」
 お盆に突入した。今日も天気は良さそうだ。
 会社の部下のお母さんが急逝したので、今日は12時から告別式に出ることになった。喪服に身を固め、ミッシェルで有料道路を突っ走った。
 3人の息子を立派に育て上げ、皆、妻帯して子供もでき、孫の数が7人。これからは孫の成長が楽しみな老後、と思われていた矢先、蜘蛛膜下出血で亡くなられたのである。まだ64歳という若さだった。45年間苦労を共にしてきたお父さんの挨拶が胸に迫った。どうして、こんな良い家族へ不幸を、と神や仏を怨みたくなった。しかし、部下のお母さんの霊前に、合掌。
 告別式に参列した会社の同僚と、近くのレストランで昼食を摂りながら、仕事の打ち合わせをした。食事後、同僚は出社したが、わたしは出社をとりやめた。
 パソコンショップ、酒屋、薬屋に寄って買い物をしてから帰宅した。試しに全部カードで支払った。現金ならポイントがつくのに、カードではポイントがつかない。やはり現金を持っている奴は強いな。
 夕食まで手紙書きをした。封書が1通、ハガキが3通と新鷹会の仕事の往復ハガキが3通である。
 夜は、書斎の片付けの続きをやった。しかし、まだ終わらない。
 
8月14日(火)「久々のトレーニング・・・の風さん」
 今日も書斎の整理。行方不明だった本が見つかった。やれやれ。とにかく今年前半、いや昨年からだと思うが、ひたすら前を見て突っ走ってきたので、どう整理したらいいか分からない。何度も途方に暮れてしまうが、少しずつやっている。どうせ連休が明ける頃には、元の状態だろう。
 夕方からトレーニングに行くことにした。これも久しぶりである。しかし、その前にちょっとだけ地元の図書館に寄った。書棚を見ながらぶらぶら歩いたが、読んでみたい本がたくさん見つかる。しかし、今はそういう場面ではない。とは言え、次のためにタイトルだけでもチェックしておこうと、とりあえず5冊借りた。明後日には返却しよう。
 トレーニングは、どん底の体調を考慮して、最少のメニューにとどめておいた。しかし、自転車漕ぎでは明瞭に数値が出てします。心肺機能はピーク時の50%をわずかに切っている。これではいつ死んでもおかしくない。最近、朝めまいがするのもそのせいか。
 夜、少し読書した。市原麻里子さんの久しぶりの新刊『木骨記』である。けっこう面白い。やはり彼女は実力あるなあ。

8月15日(水)「蛙の墓守・・・の風さん」
 終戦記念日。新鷹会の勉強会の日でもある。今日も大勢出席していることだろう。
 今朝も起きがけにめまいがした。何はともあれ、体力回復が大事かも。
 今日も書斎の整理。今日も行方不明だった本が見つかった。ずっと以前から見つからなかった本で、ベストセラーの岩波新書『零の発見』である。長い間見つからなかったので、この間、書店で購入した。なんと99刷だった。今日見つかった『零の発見』は、書棚の下の方にしっかり入れてあった。奥書をチェックすると71刷。この本を含めて約20冊の本を選抜して、地元の図書館に寄贈することにした。本当なら200冊ぐらい寄贈しないと片付かないのだが、貧乏性なので、なかなか手放せない。
 今日もけっこう片付けに時間をかけた。しかし、まだ終わらない。
 夕方から、また図書館へ行き、本を寄贈した後で、トレーニングにも行った。昨日の疲れで、自転車漕ぎの結果は、心肺機能がピーク時の45%になっていた。少し筋肉痛がする。アメリカでは桑田投手が戦力外通告を受けたそうで、筋肉を全盛時の状態に維持するのはきわめて難しいことが分かる。とりあえず私は、年齢並の体力を確保しなければ……。終わりにストレッチをやっていたら、まためまいがしたので、血圧を測ってみた。111−61。どうやら低血圧になっているようだ。
 帰宅してから、ワイフと次女と3人で墓参に行った。霊を送るのである。一昨日ワイフがお迎えに行ったときには、花筒の中に蛙がいたそうで、花と水を換えて、蛙は隣のお墓に逃がしたそうだ。
 夕方の墓地はけっこう賑わっていた。墓の周囲に提灯を飾っているところもある。大家族で食事している光景も。こういった風俗が残っているのはよいことだ。我が家の墓は、連日の晴天でやはり花が元気をなくしていた。ワイフが水を換えようとしたら、また蛙が飛び出してきた。見ると、色褪せた雨蛙である。ぴょんぴょん飛び跳ねるやつをつかまえて、花筒に戻してやった。きっと我が家の墓守に違いない。
 墓前で合掌した。
(いつも我が家でゆっくりしていてください)
 亡父の位牌は我が家のダイニングテーブルのすぐ横に、遺影と一緒にある。

8月16日(木)「虫の話・・・の風さん」
 確かに昨日の勉強会は、平岩弓枝先生も出席されて、貴重なお話も聞け、とても充実したものだったという知らせが届いた。猛暑ではあるが、気合の入った世界では「心頭を滅却すれば火もまた涼し」なのだろう。
 外は猛暑だが、家の中は冷房が効いていて涼しい。うちの猫2匹は家の中だけで飼っている(つまり外へ出さない)ので、戸も窓も締め切っている。だから、夏は冷房ということになる。
 締め切っていても虫が家の中に入ってくることがある。ハエが一番多い。住んでいる土地には畜産農家が多いので、ハエは非常に多い土地柄だ。一昨日、便所蜂(べんじょばち)が入ってきた。そのまま夜になり、2階の廊下の天井灯のあたりに止まっていた。黒い体は気の毒だが好きになれない。獰猛な印象があるし、ゴキを連想してしまう。しかし、こいつのもう一つの名称はコウカアブ(後架虻)だ。後架は厠(かわや)、便所のこと。正しくは蜂ではなく虻の仲間ということだ。まさしく汚名を着せられているわけだが、トイレと関係はないし、蜂じゃないから刺さない。
 昨日の朝、姿が見えなかった。下へ降りて、天窓を開けようとサンルームへ入ったら、コウカアブがいた。窓やドアを開けて逃がそうとしているうちに、どこかへ行ってしまった。ワイフに聞いたら、2階にいたのと別の便所蜂だという。
 夏期休暇に入って今日で6日目。連日、書斎の片付けを続けてきたが、午前中で一段落することにした。とりあえず足の踏み場は確保できた(笑)。ゴミもたくさん出て、捨てようとしたプチタオルが「洗えばまだ使えそうだ」と思い、ゴミ袋から取り出して埃を払ったら、中にチビゴキ(チャバネね)がいた。死んだようにじっとしていた。恐怖で高鳴る胸をおさえながら、トイレへ行き、水葬に処した。
 夕方からまたトレーニングに行った。3日連続である。メニューも同じ。自転車漕ぎの数値はピーク時の53%だった。少し回復したか。最後のストレッチの後、まためまいがしたので、血圧を測ってみた。104−65。やはり低い。

8月17日(金)「スリルとサスペンスの一夜・・・の風さん」
 朝からひどい「めまい」である。フラフラしてまっすぐ歩けない。睡眠不足とは考えられないから、これは明らかに異変である。体調不良。しかし、今日は大事な日で、どうしても上京しなければならない。
 ワイフの制止を振り切って出かけることに。どうせ行きの電車で寝ていけば、いくらか症状が軽くなるだろうとタカをくくった。とりあえず駅まで送ってもらう。
 名鉄電車も新幹線もほとんど寝ていたが、症状は変わらず。やばい。それでもスケジュールを必死にこなすことに。東京駅から有楽町駅へ一つ戻って、有楽町線で永田町へ。A出口から出るのは、国会図書館への最短コースだからだ。
 資料調査の手順は熟知しているが、いつものスピードで行動できない。まずIDカードを使って入館手続き。目的の書籍(本とマイクロキャッシュ)の借り出しを申し込んでから、古典籍資料室へ行き、マイクロフィルムを借り出して、欲しいコマを見つけて複写依頼をする。待っている間に簡単に昼食。このまま具合が悪くなったら、吐くのではないかと心配になったが、何も食べずに空腹でダウンするのも情けないので、無理して腹に入れた。
 完成したコピーをもらって、マイクロフィルムを返却し、申し込んであった書籍をもらう。マイクロキャッシュと本、それぞれの欲しい部分を複写依頼に出す。再び、待っている間に、幕府旗本人物事典類で目的の人物の屋敷の所在地を確認する。ほぼ想定していた場所にあったので、安心しつつメモを取る。
 完成したコピーをそれぞれもらって、書籍を返却。これで、国会図書館のスケジュールを無事に終了。しかし、この後の約束にかなり遅れることが明確になったため、ケータイで編集者へ連絡を入れる。
 有楽町線で池袋駅へ。約束の場所まで急ぎたいのだが、まだフラフラしている。焼け石に水かもしれないが、リポDを購入して飲んだ。今日は10月出版の本のゲラが出来ているので、それの受け取りと打ち合わせでやってきたのだ。そこへ編集者から電話。私が希望している装丁者も打ち合わせに合流することになったという。中島かほるさんだ。懐かしい。
 喫茶店で3人で怒涛の打ち合わせ(笑)。とにかく残された時間がない。中島さんから参考になる画像が欲しいと言われたので、あとでメールで送ることを約束した。
 座って話しているだけでも、ぶっ倒れそうだったが、何とか最小限の確認がとれた。
 JRを乗り継いで品川駅まで行った。再びリポDを飲んで、新幹線に。そこでひと安心してまた爆睡……、ところが名古屋駅が近付いて、とんでもないことに気が付いて目が覚めた。家の鍵を持って出てくるのを忘れたのだ! 今日は、ワイフは実家の旅行で留守である。メールしても出ない。長男はバイトで帰りが遅い。次女は部活で私よりも帰りが遅い。それでも、次女と一緒に帰ればいいか、とメールを送ると、「私も持っていない」という悪魔のような返信。長男へ電話するが出ない(バイト中だから当然)。とりあえず留守電とメールの両面作戦。
 名古屋駅から一緒にいるはずのワイフの妹に電話したら出たので、ようやく鍵の話ができた。長男に鍵を某所に隠してから出かけるように言ってあったという。忘れずに隠して行ったかどうか確認できないまま、とりあえず自宅へ向かうことにした。
 鍵を手に入れて家に入れないと、明日は、空路松山へ飛ぶことになっているのだが、行けない。一方、体調は戻らず、依然としてフラフラしたままだ。鍵が手に入るか、ぶっ倒れるか、スリルとサスペンスに満ちた状態になってきた。
 次女より早い電車に乗り、誰も迎えに来てくれないから、歩いて自宅へたどり着いた。さあ、秘密の場所に鍵はあるか?
 あったー! これで、明日は松山へ行ける。しかし、旅行の準備はこれからだ。やれやれ。

8月18日(土)「第3回全国和算研究(松山)大会・・・の風さん」
 今日から松山で第3回全国和算研究(松山)大会があり、1泊の予定で出かけた。
 睡眠を十分にとったつもりだったが、起きてみると、まだフラフラする。3日連続の筋肉トレーニングが悪かったとは思えないが、気力や体力ではどうしようもない体調不良である。もちろん若さでカバーすることも望めない。
 階下へ降りてみると、玄関の廊下にシルバーの大きな@ンチが落ちていた。忙しい時に限って手が焼けることをするんだよなあ。トイレットペーパーでつまんで水洗トイレに流し、跡を水拭きしておいた。次女は既に部活へ出かけ、ワイフはもちろん旅行中で不在。長男はいることはいるのだろうが、別世界で暮らしているようなものなので、気にかける必要はない。さっさと用意をして、ミッシェルで出発した。今日もいい天気だ。
 セントレア空港に着くと、ここも国会図書館のように慣れているので、流れ作業でこなしていける。問題は、まだ目が回っているので、機敏に動けないだけだ。
 ネットチケットレスで航空券を手に入れ、明日会う予定の大野優凛子さんへのお土産を購入。昨日に続いてリポDを買って飲んで、手荷物検査へ。金属類は小さな物でもカゴに入れることにしているので、ボディチェックを受けることは先ずない。一番外れの搭乗口までカートを転がしていった。
 松山便はフォッカー50だった。不思議なことに、飛行中、爆睡してしまった。やはり疲れているのかなあ。
 余裕のないスケジュールだったので、松山空港からタクシーで道後温泉にある、今回の会場にぎたつ会館へ向かった。運転手に尋ねると、今日は34、5℃になるらしく、例年より非常に暑いとのことだった。
 受付を通ると、今回の参加の労をとってくれた渡辺先生が近づいてきて、急遽不参加になった小寺先生の代わりにショートスピーチをしてほしいと頼まれ承諾した。来年の開催県となる群馬県の和算研究会会長で、前橋工科大学の小林先生も来られ、再会できてうれしかった。会場の大広間は参加者でぎっしりだった。およそ100人の出席である。人数の多さに和算の人気の高さを実感した。
 記念講演や研究発表の後、私が出て、松山へ来ることになったきっかけなどを、とりとめなく話した。資料なしの話は久しぶりだ。ちゃっかり10月の新刊の宣伝をしたのは言うまでもない。
 午後4時に記念写真を撮り、近くの伊佐爾波神社へ算額の見学に出かけた。今回の主催者側の代表である、愛媛県和算研究会会長、浅山先生の元気さとリーダーシップに驚嘆した。そもそも、大野優凛子さんから浅山先生を紹介され、文通を経て今年の大会を知ったため参加することになったのだ。
 7時からの懇親会にも50名を超える参加があり、9時までたっぷり盛り上がった。
 体調は相変わらずだったので、本当なら道後温泉を堪能しなければならなかったのだろうが、諦めて早めに就寝した。

8月19日(日)「算額見学ツアー・・・の風さん」
 いちおう睡眠はしっかりとったが、体調は昨日と変わりない。今日も静かに行動しよう……と言いつつ、午後は、大野優凛子さんの案内で松山観光が控えているので、何とか元気にならないものかと思う。
 共済組合の宿に泊まっているのだが、一般のホテルと同様に朝食はバイキングだった。台湾から参加されている城地先生とご一緒させていただき、あれこれ雑談しながらゆっくり食べた。戦争と皇室問題を語り出したらちょっと雲行きが怪しくなったが、中国や満州の話では盛り上がった(全然数学の話題じゃないな(^_^;))。
 外へ出ると、今日も夏空が広がっていて暑くなりそうである。
 午前中はバス2台で神社の算額見学ツアーだった。愛媛県和算研究会会長の浅山先生が、短パンにウェストバッグ、野球帽姿で登場し、今日もその元気さに圧倒された。
 最初に伊予稲荷神社へ行った。境内にある絵馬堂はもとより、神楽殿の内外の壁面にたくさんの絵馬がかかっている。ここの絵馬は五角形で、合格祈願が中心だった。五角はつまり合格のしゃれである。注目の算額は禰宜によって倉庫の中から出してもらい、神楽殿の中で見せてもらった。だいぶ薄くなっていたが、色刷りで横長の立派な算額だった。
 次に、三津厳島神社へ行った。ここも立派な神社だったが、算額は、浅山先生らが文献調査に基づいて復元したものである。だんだん昼が近づいているが、体調は相変わらずだった。ワイフから心配メールが何度も飛び込んでくる。帰ってからの作家業のことも考えると、なかなか厳しいものがある。決断するなら今、とばかりに、航空会社へケータイで電話してみた。すると、奇跡的に1本早い便に1席だけ空席があるという。即、予約変更を申し入れた。予定変更を大野優凛子さんへもメールで連絡した。
 見学ツアーは松山駅で解散となった。駅前のタクシー乗り場で待っていると、大野優凛子さんがやってきた。早速、スケジュールの相談をし、とりあえず大野さんのよく利用するタクシーで松山空港へ向かった。
 空港でレストランに入り、ゆっくり食事をしながら歓談した。めまいは治っていないので、大いに盛り上がったとは言えないが、1年ぶりで2度目とは思えない本音トークができた。
 出発の時刻が迫ってきたので、お土産を買って、手荷物検査の前でお別れした。
 帰りの便は、ボンバルディアQ−400だった。家族連れが多く、確かに満席だった。1時間ほどのフライトで、無事セントレアに着いた。到着ロビーに出ると、心配したワイフが迎えに来ていた。ミッシェルを運転するため、電車で来たと言う。
 ワイフの運転で楽して帰宅できたが、そのまま寝込むわけにはいかない。明日から会社なので、やることはたくさんある。就寝は午前零時近くなってしまった。

8月20日(月)「会社生活で多忙・・・の風さん」
 今日から会社である。いつもより早起きした。めまいはさらに軽くなっている。
 出社して神棚への参拝はしたが、ラジオ体操は自重した。おとなしくしているつもりでも、次々に行事が発生する。ぶっ倒れないように一つずつこなしていったが、なかなかつらいものがあった。
 定時後もまだ仕事が続き、延々と残業になった。
 午後10時近くに帰宅したら、なんと、食堂で家族が夕食を摂っている。
「子供たちが寝ていたので放っておいたら、こんな時間になっちゃった」
 とワイフ。続けて、
「まさか、あなたがこんなに帰りが遅くなるとは思わなかった」
 と言う。そりゃそうだろう。こちとらは病人なんだ。
 就寝前に、ようやく市原麻里子さんの『木骨記』を読み終わった。吉村昭さんの作品のような重厚な仕上がりだった。

8月21日(火)「ゲジゲジ退治・・・の風さん」
 今日も帰りが午後10時近くなってしまった。ひとりだけで夕食。
 書斎に入ってメールチェックをしていたら、デスクトップパソコンの向こう側の壁面を、3センチくらいのゲジゲジが這っていた。
(ゲジゲジならいっかぁ〜)
 と無視して、パソコンでメールを作成していたら、左腕をゲジゲジが登ってきて、ぎょっとした。
 手を振ると、キーボードの上に落下し、キーとキーの隙間から中へ入ってしまった。キーボードは表面にしか出入り口がない。メールを作成している時にゲジゲジが出てきたらいやなので、どうしたらいいか、しばらく考えた。なかなか良い案が浮かばない。
 続けてキーを叩いてみたり、ゴキジェットを噴霧してみたりしてみたが、キーの隙間から出てくる気配はない。今度は、キーボードを縦にしてみたり、机の上に叩きつけてみたりしているうちに、にゅるにゅると這い出てきたので、急いで石製のコースターで叩きつぶした。必死の格闘である。ここまでで心拍数が100まで上がっていただろう。
 今夜もこれ以上は仕事にならないので、階下へ降りて入浴後、オンザロックを飲みながら、辻真先先生が送ってくれた新刊の漫画、辻真先原作・横山光輝画『戦国獅子伝』(講談社)を読んでいたら、ワイフがログから戻ってきた。
「あ、私の……」
「ウィスキーなら上げるよ」
「そうじゃない。その漫画、私が読んでいる途中なの」
 なんと。

8月24日(金)「またまた臨時緊急有休・・・の風さん」
 またまた臨時緊急有休にしてしまった。昨日まで、会社の仕事で毎日残業になり、帰宅は平均して午後10時である。これでは、ゲラの修正ができなかった。残っている仕事量を考えると、今度の土日だけでは到底無理である。
 今日の元々の予定はJMAの関係で企業視察に出かけるつもりだった。大学院での研究のためにも、社外のモノづくりは勉強しておく必要があった。非常に残念だが仕方ない。
 さあ、有休で作家業に専念、と行きたいところだが、なかなか簡単に問屋は卸してくれない。会社の仕事もたまっている。パソコンで会社のサーバーにアクセスして、あれこれ点検してみると、やらなければいけないことが目白押しだ。それらの中からできることをいくつか済ませた。続いて、昨日までに電話すらできなかったプライベートの案件があったので、これもいくつか電話して処理した。10月の講演のための事前作業も一つこなした。
 これで、やっと執筆モードに入れた。
 今日は、第一章から二章までのゲラの手修正である。すぐできるところは赤ペンで書き込み、後でじっくり考えてやる部分は、ポストイットに課題を書いてとりあえず貼っておく。そういう作業を延々と続けた。
 今日は終日ワイフが出かけているので、留守番もやらなければならない。電話番や宅配の受け取りなどである。これがけっこう多いので、いつも大変なのだが、今日は意外と少なかった。
 何とか1日がかりで、目標までたどり着いた。しかし、問題点先送り部分も多い。

8月25日(土)「ひたすら書斎の虫・・・の風さん」
 今日から第三章である。先日の出版社との打ち合わせで、ゲラの修正ではなく、ワードでの再入力である。それでも、既にゲラに書き込まれている出版社の修正は盛り込んでおかなければならない。だから、ゲラも横目でにらみながらの再入力である。
 今回の目標は、3つの章のバランスをとることである。そのためには、第三章の描写を強化して内容を充実しなければならない。同時に、ストーリーとしてのスムーズさ(矛盾を排除すること)を心がけねばならず、やることは多い。
 午前中に、第二章の中のある部分を第三章へ移動させるという大手術を施した。
 午後、11月の講演先からの打ち合わせ依頼ファックスが届いたので、その返信をファックスした。
 暦の上では秋なのだが、今年も暑い夏になっている。愛知県地方では35℃を超える猛暑日が連続している。書斎には小さなクーラーがつけてあり、27℃から29℃の間でこまめに温度設定をしながら仕事をしている。書斎には入れない猫の行動を見ていると、寝転ぶ位置を頻繁に変えながら温度調節しているようだ。たとえばシルバーは、階段の一番上から途中、階段の下といったように高さを変えている。床から高いほど温度が高いわけで、動物でも賢いなあ、と感心する。
 第三章は3つの節から成立しているのだが、今日は最初の2つの節の修正が完了した。いよいよ、あと1日しかない。大変だが、もうじき本が出るかと思うと、幸福感に浸ることができる。やはり作家は本を出している間が作家だ。

8月26日(日)「今日こそは徹夜は回避・・・の風さん」
 今日も書斎の小さな窓から見上げる景色は、雲ひとつない青空の下で、裏の駐車場(草地でひょろりと伸びたひまわりが咲いている)も道路もご近所の邸宅も、すべてが真夏の熱気の中でうだっている。
 原稿提出の締め切りを明日に控えて、今日こそは徹夜にするまい、と一日が始まった。先ず、今日注力する部分のゲラを最後まで読んで全体を把握してから開始。それでも修正を始めると、どんどんいじりたくなるから困る(笑)のだが、仕方ない。ある程度深く考察しながら推敲を進めていくと、老化した脳が休みたくなってくる(笑)。途中で、今回初めて挑戦する登場人物一覧作りに着手。これが脳の休憩になった。
 結局、第三章の最後まで到達したのが夕方だった。新たに数式の入力までしたので、時間がかかった。第三章は全面的に再入力と決めていたので、この部分は今夜メールで送信すれば済む。問題は、第一章と第二章の手修正ゲラだ。その場で修正済みとなったところはいいが、後で考えることにした部分がわんさとある。ポストイットが挟んであるので、それらを一つひとつ解決していかなければならない。時代考証の再チェックも含まれている。脳の休養としては、ゲラを送付するための宅配の準備。
 夕食はスパゲティだった。こういうときはワインを飲むのが通例だが、そんな場合ではない。今飲んだらすべてが終わってしまう。デザートのチーズケーキを食べてすぐ書斎へ。
 赤ペンでの書き込みは苦手だ。書痙で右手が不自由なので、こういう時は左手を使う。左手を使うと右脳が刺激されるのでメリットもあるが、パソコン入力よりははるかに効率が悪い。元のワードファイルの修正を同時にすることなど、さっさと断念。時間がどんどん経過していく。超高速で修正しているつもりでも、午前零時を回ってしまった。

8月27日(月)「原稿を提出してもまだまだ多忙・・・の風さん」
 午前2時過ぎにワイフがアイスコーヒーを差し入れしてくれ、ワイフは本日の営業を終了した(笑)。
 やっと、ゲラの手修正が終了した。ここで安心して、第三章を印刷できる。第三章のデータは今夜送るにしても、ゲラには手を入れていないので、せめてプリントアウトを同封するつもりだ。
 続いて、手修正したゲラの保存である。バックアップの意味もあるが、後でデータも直しておきたい。高速モードでカラーコピーをとった。約100枚あるので、けっこうな時間を食った。
 早起きの次女が起きると風呂が使えなくなるので、午前4時にシャワーを浴びに行った。
 書斎に戻って、第三章のデータを出版社へ電子メール送付。ゲラと第三章のプリントアウトを梱包して宅配の準備が完了。
 ベッドに倒れ込んだのは午前5時である。
 とりあえず徹夜だけは避けられた。

 午前6時半に起床。睡眠時間は1時間半だ。
 朝食を済ませて、いつもの総合病院へミッシェルで直行。有料道路を使う。
 午前8時前に受付を済ませることができた。作戦通り。8時半から採血。9時に最初の診察。9時半に次の診療科での診察。会計を終了したのが10時。薬を受け取っている時間はない。そのまま本社へ直行。
 ゲラの宅配はワイフに頼んである。
 本社での重要会議が終わったのが12時半だ。昼食を摂っている余裕はないので、先ず、総合病院へ戻って薬を受け取った。それから、これも予定通りに行動なのだが、ミッシェルを12ヶ月点検に出して、代車を借りた。1時半にコンビニでパンを買って昼食。午後2時から5時過ぎまで、本社でのイベントに審査員として出席。
 帰りに、12ヶ月点検の終わったミッシェルを受け取って、まっすぐ帰宅した。
 さすがに疲れていたし眠い。
 世界陸上の女子100M決勝の微妙な判定に感動しながら、さっさと寝ることにした。
 明日からまた普通モードだ……と言っても、多忙な会社生活と大学院生活etc.

8月28日(火)「野村先生の新刊が届く・・・の風さん」
 まともに睡眠を取って1日が始まったが、やはり出社すると多忙である。そのまま残業モードになって(管理職だから残業とは言わないし、何も手当てはないのだが、ま、とりあえず残業としておこう)、帰宅は午後11時を過ぎた。かなり晴れ上がった夜空で明るかった。そう。今夜は、6年ぶりの皆既月食だった。当然、見られず。
 新鷹会の野村敏雄先生から新刊が届いていた。PHP文庫『武田三代記』である。昨年、肺がんが見つかって、治療を続ける中での執筆で、ほんのちょっとだけ調査のお手伝いをさせていただいた。どのように作品に反映されているか、読むのが楽しみである。
 昨日送ったゲラが無事出版社に届いたとのこと。やれやれ。
 雑用はほとんどできず、就寝も午前1時を回ってしまった。

8月29日(水)「久々に英語の文献読み・・・の風さん」
 午前6時に目が覚めた。本社へ行かなければならない。屋外は雨らしい。かなり強い雨が降っている音が聞こえてくる。
 そろそろ文献読みを再開しなければならないので、重たいファイルを携えて家を出た。やはり外は雨。
 ミッシェルで有料道路を突っ走る。天気が悪い時は道路が混雑するのだが、何とか午前8時に本社に着いた。
 午前中に会議が3つ。昼休みに文献を読んだが、今日は電子辞書は持ってきたが、シニアグラスを忘れたので、小さな字がつらい。
 午後も資料作りと会議で、あっという間に定時後に。今日は、早々に帰宅させてもらった。
 出版社からファックスが入った。今度の文庫書き下ろしに関する参考資料である。わざわざ国会図書館で確認してきてくれたもので、貴重な材料である。早速スキャナーで読み込んで、pdfファイル化した。
 今夜も早く寝なければ。また、身辺整理ができないな。

8月30日(木)「トークセッションの日程が確定・・・の風さん」
 午前中は雨模様。12ヶ月点検に出したミッシェルは、なんやら不思議なコーティング(サービス)を施されて戻ってきたので、水滴をはじく。
 本社へ出張し、午後は製作所。
 帰宅したらジュンク堂池袋本店から電話。トークセッションの日程が、二転三転していたが、とうとう決着した。11月22日(木)である。新刊の文庫書き下ろしの発売予定日が10月5日なので、なるべく間隔を開けたくなかったが、この日になってしまった。近々、東京近辺在住の知人に連絡しようと思う。
 そう思いながら、今夜も世界陸上を観戦してしまった。かつて高校時代は、最もスポーツ観戦に熱くなっていた。トップはプロボクシング。選手の活躍を励みにして何とか悩み多き青春を生きてきた。既に壮年も過ぎ、老境に入りつつあるが、鍛え抜かれた肉体のバトルを見ていると、やはり血が沸く。自分は、そういうタイプの人間なのだろう。
 
8月31日(金)「人生の逆戻り・・・の風さん」
 夏期連休中に持病のめまいが発病し、次第に落ち着いてきたものの、完治の気配がない。長引いている。特に睡眠はしっかりとっているつもりだが、今週始めにまた半徹夜みたいなことをやってしまったので、帳消しかもしれない。加えて会社の仕事が忙しく、疲労して帰宅し、世界陸上を観て精神的に元気を出しても、やはりプライベートに今ひとつ力が入らない。
 今朝もミッシェルで本社へ出張したが、睡眠十分なのに、元気が出ない。雨模様の中、有料道路を安全運転で走った。
 本社での仕事は、昨日生じた突発業務で、きっかけは非常に不愉快なものだった。場合によっては喧嘩も辞さない覚悟だったが、最悪の事態は免れた。あとで、同僚に意見を求めたら、私が素早く対応したせいだと言われ、機嫌がさらに直った(笑)。本社へ行ったついでの雑務もこなすことができ、満足して製作所へ戻ろうとしたら、傘がない! 駐車場から本社ビルまでさしてきた高級折り畳み傘である。先日もあったドジの再発だ。自分の行動のフィルムを巻き戻してみる。……、あった! 前回同様に、置き忘れたと思った場所に発見した。こういった物忘れは、子供の頃はしょっちゅうだった。人間は年をとるにつれて生まれた頃に戻っていくものだが(最後は、おむつをして寝たきりになってしまう)、どうやら私は小学校の頃まで戻ったようだ。
 雨は上がったが蒸し暑い中、製作所へ戻った。
 帰りに買い物をし、帰宅したら、ゲラが届いていた。10月5日発売予定の、初めての文庫書き下ろしである。

07年9月はここ

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